らいちの歴史

  • 2018.01.26

らいちの歴史⑥-中学生のラーメン屋Ⅱ-

一人で店番していた50日間で大変だったのは出前。前に書いたように出前は父がバイクで行っていたのですが、入院しているとは知らずに注文は入ってきます。一人なのであまりにも遠いところは事情を説明してお断りしたのですが、自分でいけると判断したところには自転車の片手運転で行っていました。 店には鍵をかけて「出前に行っています。少々お待ちください」と張り紙して、行くときは慎重に、帰りは猛スピードで自転車をこい […]

  • 2018.01.23

らいちの歴史⑤-中学生のラーメン屋Ⅰ-

私が中学3年の夏休みの終わりに衝撃的な事件が発生します。 バイクで出前中の父が交通事故にあって入院してしまったのです。当時母は午後から夜にタクシー会社の集金の仕事をしていて昼は店に出れても午後からは出れないということで二人で相談した結果、私が学校から帰るまで母が一人でやって、母が集金をしている間は私が一人でつなぎ、母が帰ってきたらバトンタッチして家に帰るという苦肉の策でしのごうということになりまし […]

  • 2018.01.21

らいちの歴史④-中学生時代-

ラーメン一番では出前をやっていて、売上に占める割合はかなり大きなものになっていました。 基本は父が出前用に改造したカブ(※1)で行っていたのですが、近くだと歩きや自転車で母や私が行くこともありました。 当時の出前は陶器の食器にベリカーバー(※2)をかけて岡持ち(※3)に入れて運んでいて、大はラーメン6杯、小がラーメン3杯で、ラーメンの重さに器の重さも加わって結構な重量になったものを運んでいました。 […]

  • 2018.01.19

らいちの歴史③-「ラーメン一番」中学生時代-

私が中学生になった頃はキャンディーズが解散してサザンオールスターズが出てきて音楽シーンが変わっていくタイミングでした。当時はレンタルレコードもまだなく、レコードを買うお金もなかったので、ラジオを聞いてエアチェックするというのが音楽小僧の定番で、私もご多分に漏れずFMで流れる曲をカセットテープに録音して聞いたり、AMでオールナイトニッポンやRKBベスト歌謡50などを聞いていました。久米宏さんと黒柳徹 […]

  • 2018.01.19

らいちの歴史ー番外編ー

厚狭駅前商店街にあった「ラーメン一番」は小さい店だったので緩やかな日々が流れていて、ヒマな時はカウンターに将棋盤を乗せて縁台将棋ならぬカウンター将棋が繰り広げられる昭和らしい雰囲気でした。 対戦は様々でお客さんと父、私と父、時にはお客さん同士もありましたが、私が成長して少しは強くなった頃には私と対戦するためにわざわざ来られる方もいらっしゃいました。 そんな私は父から将棋を教えてもらってそこそこ指せ […]

  • 2018.01.16

らいちの歴史②-「ラーメン一番」小学生の頃-

私も小学校高学年になると少しは店の役に立つようになり、皿洗いから料理出し、仕込み、ちょっとした調理もやっていました。 仕込みでは、餃子包み、おにぎり作り、野菜切りなどでしたが、最初一番いやだったのがスープの仕込み。今でも変わらないのですが、スープの仕込みには豚骨と鶏ガラを使います。どちらも生で血がついているし鶏ガラには内臓もあって、普通の小学生が目にするものではなく、触るなんてことはありえないこと […]

  • 2018.01.15

らいちの歴史①-「ラーメン一番」小学生の頃-

麺菜酒家らいちの起源は、父の山本直善が昭和46年に厚狭駅前商店街でカウンターのみ10席あまりの「ラーメン一番」をオープンしたところにさかのぼります。 今の駅前商店街からは全く想像できないと思いますが、駅から厚狭川の鴨橋までの通りに面した建物はすべて店で、鴨橋より東も500m位はほとんど店で埋まっていて、人の往来も多くとても栄えている商店街でした。 当時私は6歳の幼稚園児。両親が店に出ているので私と […]